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Column & Brog

玉手匣とエビングハウスの忘却曲線

 今も日本に伝わる御伽噺(おとぎばなし)の中で『〇〇太郎』から連想される物語といえば、『桃太郎』、『金太郎』、『浦島太郎』が思い浮かぶのではないだろうか。

 いずれもジュブナイル(少年少女向けの物語)であるため、主人公が活躍の末に宝物などを獲得し、育ててもらった祖父母などに恩返しをするという「めでたし、めでたし」で幕を閉じるのが大半だ。

 もちろん、『かぐや姫』のように物悲しい結末で終わるケースもあるが、子供にも分かりやすい終わり方にはなっている。

 そんな御伽噺の中にありながら『浦島太郎』はかなり不可解なラストを迎えているのではないだろうか。

 浜辺で子供たちに苛められていた亀を助けた浦島太郎は助けたお礼として、竜宮城へ連れられ、乙姫の歓待のもと鯛(たい)や鮃(ひらめ)の舞い踊りを鑑賞。贅を尽くした料理に舌鼓を打った後、乙姫様から玉手匣を手渡され地上へと戻る。

 ほとんどの御伽噺であれば、この玉手匣には金銀財宝などが詰まっており、浦島太郎には幸せな暮らしが待っていたはずだ。

 『浦島太郎』を読んでいた子供たちの多くも、「どんな宝物が出てくるんだろう」とワクワクしながらページを捲ったのではないだろうか。

 しかし、玉手匣から出てきたのは、もうもうとした煙であり、煙に包まれた浦島太郎はたちまち老人になってしまう。

 竜宮城での時間は地上の時間より早く進むため、地上に戻った浦島太郎は地上での時間経過に追いつき、お祖父さんになってしまったという一応の納得は得られるだが、では何故、乙姫はそんな効果をもたらす玉手匣を浦島太郎に贈ったのであろうか。

 たとえ、竜宮城と地上における時間の流れが異なっていたとしても、浦島太郎が十分に暮らせるだけの金銀財宝を贈った方が御伽噺としては簡潔で分かりやすいラストなのではないだろうか。

 にもかかわらず、乙姫は浦島太郎に即座に老化してしまう玉手匣を贈ったのだ。それは何故か?

 その意味合いを考える重大なヒントになると思われるのが『エビングハウスの忘却曲線』。

 これは「無意味な文字列を覚えさせた場合、それらをどれぐらいの時間で忘れてしまうか」を表す曲線で、データによれば、人は1時間後には56%を、さらに1ケ月後には79%を忘れてしまうとされている。

 さらに、同種の実験によると「最近あった思い出深いことを1つ上げてください」といった場合、ほぼ例外なく大多数の人が哀しい出来事を上げるのに対して、「過去にあった思い出深いことを3つ上げてください」というと、逆にほとんどの人が楽しい事例を上げるというデータも得られている。

 つまり、人は時間が経つほど、楽しい、嬉しい思い出だけが色濃く残っていく存在なのだ。

 だからこそ、乙姫は使えば消えてしまう金銀財宝ではなく、楽しい思い出が希望に、生きる糧になるようにと、浦島太郎に玉手匣を贈ったのではないだろうか。

 人は未来に待つ幸せを目指し生きるものだが、時として思い出がその原動力になかもしれない。

オフィスオラシオン

~心に響く言葉をつむぐ~

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