乾杯に秘められた誘惑
酒席の幕開けに欠かせないのが乾杯。当日の仕事を終えて味わう最初の一杯は新鮮な旨みを感じさせてくれる。
乾杯で最も多く飲まれている酒類といえばビールだが、実はこのビールにはメーカーや銘柄を問わず、ある共通点が隠されている。
それはスカート。といっても女性が着用するスカートなどではなく、瓶ビールの王冠についているギザギザのことだ。
日本において、スカートが一般化したのは1912(明治45)年頃。スカートの技術自体は1899(明治33)年にイギリスからもたらされているが、日本に入ってきた当初は瓶の口にスカートがなかなか合わず、気の抜けた瓶ビールが続出したこともあったという(ちなみにスカートが登場するまで、瓶ビールの栓にはコルクが用いられていた)。
その後、試行錯誤を重ね、1912(明治45)年頃になってやっとスカートが定着したわけだが、その定着する要因となったのがギザギザの数。数えてみれば分かるだろうが、メーカーや銘柄を問わず、現在も21個で統一されている。21個以下だと栓が外れやすく、これ以上だと外しにくい、というまさにジャストフイットの数が21個だったのである。
このビール以上に欧米の乾杯シーンに数多く登場するのがシャンパン。ご承知のとおり、シャンパンとはフランスのシャンパーニュ地方でとれる発泡性ワインのことをいう(それ以外はスパークリングワイン)のだが、じつは、このシャンパン、元々は欠陥ワインとされていたのである。
今でこそ、シャンパンから立ちのぼる気泡は軽快な美味しさをもちらす物とされているが、当時、気泡はワインの味を下げるものとされ、シャンパーニュ地方のワインは「質が悪い」という評価を受けていた。
そんな評価を逆手にとりシャンパーニュ地方のワインをシャンパンとして定着させたのが同地方の聖ベネディクト派僧院で僧を務めていたドン・ペリニヨン。そう。ピン・ドンの愛称で親しまれているドンペリに名を残すドン・ペリニヨンこそシャンパンの創始者なのだ。
ドン・ペリニヨンは30歳の時に聖ベネディクト派僧院の酒庫で、ワインの栓が気泡によって飛ばされ、瓶からあふれ出た気泡を伴うシュワシュワのワインを味わって以来、シャンパンの研究に生涯を通じてとりくみ、「質が悪い」といわれたシャンパーニュ地方のワインに適量の砂糖を加えるなどしてシャンパンを完成。なで肩のほっそりとしたボトルにシャンパンを詰めたのも、針金のついた独特の栓にしたのも全てドン・ペリニヨンの発案によるものとされている。
そんなシャンパンでの乾杯はロマンチックな夜の始まりにふさわしいが、欧州では「シャンパンでの乾杯」には「すべてがOK」という意味がこめられているので、フランスやイギリスなどへ旅行する機会のある淑女の方々は注意した方がいいかもしれない。もちろん、紳士の皆さんも……。