錬金術師とワインの関係
錬金術が存在する、という架空の世界を舞台としてストーリーが展開された『鋼の錬金術師』。
主人公は幼少の頃に最愛の母であるトリシャ・エルリックを亡くしたエドワード(兄・通称エド)とアルフォンス(弟・アル)のエルリック兄弟。母親を生き返らせたい2人は錬金術における最大のタブーとされる人体錬成を行うが、錬成は失敗に終わり、兄のエドは左脚を、弟のアルにいたっては自らの身体全てを失うこととなってしまう。
エドは自身の右腕を代価として、弟の魂を鎧(よろい)に定着させることに何とか成功したが、「自分たちがいかに愚かだったか」ということに気づく。その後、エドは失ってしまった右腕と左脚にオートメイル(機械鎧)を装填し、かりそめの手足を手に入れる。
12歳を迎えたエドは国家錬金術師となり、アルと一緒に元の体へと戻るため、絶大的な力を持つという賢者の石(錬金術師が用いる霊薬。ハリーポッターシリーズにも登場している)を探す旅に出る。もちろん、このような旅が平穏に進むわけはなく、道中には数々の試練が待ち受けている。それでもエドとアルの兄弟は互いに絆を深めながら、元の体へと戻れる方法を探し続けていく。タイトルになっている『鋼』はエドが国家錬金術師になった時に授けられた二つ名『鋼』に由来している。
この物語が展開される世界が19世紀における産業革命期のヨーロッパをモチーフにしていることは明らかであろう。かつて歴史学者のフランシス・イェイツが「16世紀の錬金術が17世紀の自然科学を生み出した」と指摘しているだけでなく、19世紀においても、化学的手法を用いて卑金属(金や銀などの貴金属以外の金属)から貴金属を精錬する錬金術は、各界の注目を集めていた。また、『鋼の錬金術師』の中で描かれていた内容とは若干異なるが、錬金術の中には賢者の石を用い、人間を不老不死にするものも含まれていた。
そんな錬金術を操るとされた錬金術師たちが群がったのがハンガリーの北東部であるトカイ地方で産出されるフルミント種のブドウ。このブドウの房には黄金に輝く果実がつくといわれ、錬金術師たちはこぞってこの黄金の果実から貴金属を精錬しようと試みている。また、1779年には女帝マリア・テレサが、この黄金に輝くブドウの果実をウイーン大学に送り、分析を依頼している。しかし、分析により得られた黄金の果実の正体は太陽熱によって乾燥したブドウの実が密状になったものに過ぎず、この結果が広がると同時に同地方における錬金術騒動も幕を閉じている。
その一方で大好評を得たのが『トカイ・ワイン』。金まで作ろうと多くの人々が群がったブドウをもとにしたワインだけに、貴腐ワイン(果皮が、ある種のカビに感染したことにより、糖度が高まった貴腐ブドウを原料とするワインの総称)の中でも最高級の1つにランクされるようになり、「ワインの帝王」「帝王の酒」と称されるほどになっている。
さらに、『トカイ・ワイン』は外科手術の際に麻酔薬としても使われており、「このワインを飲ませると、患者は手足を切られても平気だった」という記録が残されているほか、腸チフス患者のための胃薬として服用されていたとも伝えられている。
何とも万能なワインともいえるが、評判を高めたきっかけが錬金術師であったことはあまり知られていないのではないだろうか。