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Column & Brog

推理する愉悦


 書籍の中にはほとんどの人の目に触れない物も存在している。

 その代表例といえるのが『第一線』という小雑誌であろう。

 『第一線』なる小雑誌は警察庁刑事局刑事企画課が編集している物で全国に約2万人いるとされる刑事たちに有料で限定配布されている。

 筆者は後に冤罪であることが確定した宮城県の『松山町事件』の当事者から直接見せられたことがあるが、この『第一線』には実際に捜査に当たっている刑事が自らの取り扱った事件についてまとめたリポートなどが掲載されており、中々に興味深い内容となっている。

 もちろん本職の物書きではないので文章や表現などは決して上手いとはいえない(それでも日夜容疑者を相手に調書をとっているためか、そこらの二束三文のライターよりは遥かに上手い)のだが、世間に出ることのない捜査過程における苦労話なども盛り込まれており、いわゆる社会派と呼ばれる推理小説よりはかなり面白く、何よりドキュメントだけに相当な迫力をたたえている。

 このようなドキュメンタリー・タッチの犯罪物はさて措き、犯罪を扱う読み物である推理小説は2つのジャンルに大別されている。

 1つは今あげた社会派と呼ばれるもので、何度も映画化やテレビ化が繰り返されている『点と線』『砂の器』などで知られる松本清張の作品が代表例と言えるだろう。

 これらの作品に目を通した経験を有する読者なら、周知のことと思われるが、社会派と呼ばれる作品群は等身大の刑事たちが執拗なまでの現場検証や聞き込みなどを繰り返し、証拠・証言をかき集めては地道に事件を解決していくもので、秀でた推理力を持つ名探偵も登場しなければ、奇抜なトリックが用いられていることもない。

 いわば、その時々における社会問題や人間が持つ情念にスポットを当てた感が色濃く、推理する楽しみは欠如していると言わざるを得ない。

 これら社会派の対局に位置するのが本格派と呼ばれるジャンルで、海外の作家ではエラリー・クイン、ジョン・ディクスン・カー、アガサ・クリスティ、日本で言えば名探偵の代名詞である明智小五郎を生んだ江戸川乱歩、金田一耕助の産みの親、横溝正史などが代表といえるだろう(江戸川乱歩については変格小説やジュブナイルも多いが)。

 ただ、1970年代に社会派が大きなブームメントとなって以降、「人間が描けていない」という理由から、国内の推理小説界では本格派を軽視する風潮が続くこととなってしまう。

 本格派マニアの筆者などは忸怩たる思いでいたのだが、その忌々しい潮流を打破してくれたのが1987年に『十角館の殺人』で鮮烈なデビューを飾った綾辻行人であった。

 近年はアニメ化もされた『Another』などで新たなファンも獲得しているが、本格派マニアならずとも、その面白さに一気に読み終えてしまうであろう『十角館の殺人』の冒頭にはこんなセリフが綴られている。

 「一時期日本でもてはやされた社会派式のリアリズム云々は、もうまっぴらなわけさ。1DKのマンションでOLが殺されて、靴底を擦り減らした刑事が苦心の末、愛人だった上司を捕まえる。やめてほしいね。汚職だの政界の内幕だの、現代社会の歪みが生んだ悲劇だの、その辺も願い下げだ」。

 また綾辻行人の代表作として名高い『霧越邸殺人事件』においても、「清張ですか。(中略)あの手のやつにはまるで食指が動かんのですよ」というセリフが見受けられる。

 これらのセリフだけでも綾辻行人が抱いてきた本格派への渇望が十二分なまでに感じられるのだが、それは本格派マニアの声なき声を代弁したともいえるだろう。

 推理小説を読む醍醐味は何を置いても「推理するという過程で生じる愉悦」だと筆者は思っている。

 その愉悦をまだ感じたことのない推理小説の読者がいるとするならば、そのは小説の冒頭で殺されてしまう被害者より哀しい存在といえるかもしれない。

オフィスオラシオン

~心に響く言葉をつむぐ~

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