夢みる力は無力じゃない
幼い頃、夕焼けに頬を焦がしながら思い描いた将来の自分。
星空に切ない願いを重ねた初恋の人への思い……。
日々の暮らしや仕事に追われる中で、人はいつしか夢を失い、夢が存在したことすら忘れていくのかもしれない。
もちろん、全ての人々が自らが望む夢を手にすることは難しいだろう。
「夢をあきらめ、現実に埋没していくこと」が「大人になる」という意味合いなのかもしれない。
でも、自らが夢をあきらめたとしても、他の人が描く夢をあざわらったり、さげすんだりする権利などは、誰も持ち得ないはずである。
夢を叶えるためには自分が望む分野で誰よりも集中し、あきらめることなく継続していくが基本といえるだろう。
それでもなお、全ての人の夢が叶わないのは周知のとおりである。
ただ、もし大人になった今でも、幼い頃に覚えた夢を抱えているのならば、諦める必要などない。
夢、愛、希望、勇気……。
功成り、財を残した者ばかりでなく、夢を諦めた人たちは、これら形の無いものを時に否定するだけでなく、権力、財力、地位などの前にひざ末消せるまつかせようするかもしれないが、夢を持ち続ける者たちはつまずきはしても、屈したりはしない。
音読みすれば、同じ「むりょく」になるかもしれないが、夢へ向かう力は決して無力ではないと筆者は思う。
できるか、できないかを問われた刹那、心が震えてしまう不確かな夢だとしても、筆者はただひたすらに信じたい。今はつぼみでしかない夢がいつかはきっと花開くことを……。